昭和3年3月3日、台東区根岸に仕立て職人の長男として生まれる。職人の父親からは勉強熱心と気真面目さを、料理屋の娘の母親からは鋭敏な味覚を受け継ぐ。

昭和10年、西尾久小学校に進学。担任の先生が絵描きだった。その影響を受けて自由に絵を描くことに興味を持つ。

昭和20年、東京大空襲で焼け出された小島 功は、家族と離れ、浅草・浅草寺妙徳院に身を寄せる。大きな画を描くために、寺の本堂の真下の大広間を提供してくれた。浅草寺の菩薩の化身が、小島 功美人画の源だともいわれる。同年に「新夕刊」に漫画の投稿を始める。

昭和22年、長 新太、八島一夫、関根義人、馬場辰夫、金子泰三、中島弘二らとともに「独立漫画派」を結成。その後注目されるようになると、小島 功は次々と連載作品を発表。豊かな胸としなやかな腰の魅惑的な美女たちが続々と登場してくる。

昭和39年、「日本漫画家協会」設立。
昭和40年、大橋巨泉、朝丘雪路司会の「11PM」に出演。18年間、独特のキャラクターとして親しまれる。

昭和43年、「日本のかあちゃん」と「7-8=1」で第14回文藝春秋漫画賞受賞。昭和生まれの漫画家としては初めての受賞。

昭和48年、加藤芳郎と漫画雑誌「ユーモリスト」を発刊。
劇画全盛時代に対抗して、ナンセンス漫画家たちの同人誌を立ち上げる。

昭和49年、清水 崑氏より「女河童」を引き継ぐ。

昭和55年、「朝日新聞」に政治漫画を連載開始。

昭和58年、伊豆の下田に京風建築のアトリエを建てる。

昭和59年、日本三名泉の一つ「下呂温泉」の観光PRポスターのイラスト制作。亡くなる年まで描き続ける。

平成2年、紫綬褒章受章

平成4年、日本漫画家協会理事長に就任。平成26年に公益社団法人となる。

平成12年、勲四等旭日小綬賞受賞

平成23年、漫画家協会名誉会長就任

享年87歳。上野寛永寺に眠る。